野生のパンジー

文化人類学の話

文化と呼ばれるさまざまなことがら②

・他者表象への批判

 人類学は他者表象の学問だという認識が一般的である。人類学といえば〇〇人、〇〇族のあるいはそれらの社会・文化の研究をする学問であると自己を規定し、また他者からもそのように思われていた。人類学が対象として取り組んできたことがらは、常により具体的で限定されたものであったはずが、上のような漠然な物言いに何の疑問も持たずにこれまできたのである。そして、他者表象への様々な批判がなされるようになるにつれ、まるで他者表象が人類学の最も重大な問題であるというふうに語れる状況を見るにとり、このような規定が広く用いられていることがわかる。

 人類学者が〇〇人を研究していますということがそれほど当然だっただろうか?たとえば、人類学者がこれまで対象としてきたのは、ある特定の人から聞いた世界の始まりの話であったり、ある災害とそれに対する呪術の語りであったり、ある事件に関する一連の裁判の記録だったりしたはずだ。それをすべて〇〇人の研究だ、などとくくって言ってしまうのはあまりにも横暴な話ではないか。それを受けて人類学者も「わたしは〇〇人の研究をしています」などと言ってしまう。まるですべての人類学的研究が最終的には〇〇人、〇〇民族の肖像を描くことを目的としているような語り口だ。事実、人類学者はその研究を「民族」誌(ethnography)として残す慣習がすっかりお馴染みになってしまっている。そして人類学がある民族を語っているとみなされたまさにその時、オリエンタリズム批判、ポスト・コロニアリズム批判の下にさらされる。

 人類学者は問われる。「その〇〇族は、はっきりとした境界をもっているのですか」「なぜ特定の人にしか聞いてないのに、それが〇〇族の全体のものとして語る根拠はどこにあるのですか」「〇〇族が共通してもっている見解なのですか」「その民族誌は現在形で書かれていますが、〇〇族はいつもそうなのですか、変化はしないのですか」…もちろんすべての質問にノーと答えるほかないだろう。だとしたら人類学者は、何かよくわからない対象について研究してきたということになるのだろうか。しかし、実際に研究してきたのは裁判の記録であったりと、かなり具体的なものであったはずだ。それらが「民族」というあいまいな概念の範疇に閉じ込められた途端に議論の雲行きは怪しくなってくる。そして、オリエンタリズム批判から始まる一連の疑問の中で、極めつけの質問、「なになに族の人々に代わって、なになに族の肖像を描いて見せようというあなたは、そもそも一体何者なのですか。なぜあなたにはそうする力があるのに、なになに族の人たちの方はあなたによって描かれるだけの存在になっているのだとお考えですか。そうした不均衡が何によってもたらされ、何を意味しているのかを考えることなく、またそれに対して何とかしようとする代わりに、あなたはその不均衡をただただ前提として、それをいいことに語っているのではないでしょうか。そもそもどうして、あなたの提出するなになに族の肖像画には権威があるということになるのでしょう。当のなになに族自身の声が抑圧されているところで、どうしてあなたの描く姿を、なになに族の真の姿として認めなければならないのでしょう。オリエンタリズムの場合と同様に、あなたの提出するその姿が、あなたの属する社会となになに族の人々のあいだの力関係がもたらした虚像でない保証がありますか。そしてそれはそうした力関係を永続化させる装置の一部になっているのではないでしょうか。」こうして人類学は、出口のない自己吟味の運動の中に投げ込まれるのである。

 これが今日の人類学において重大な問題であることは疑いようがない。人類は地球上のいたるところで自己を規定し、それとは異なる「他者」を見出し、そのイメージを産出し続けた。西洋世界が非西洋世界の印象を造形し、それを非西洋世界に一方的に押し付ける過程が、近代化を進行し完遂する西洋による非西洋世界の周辺かと支配を形成する一助となっていた事実は無視できない。そして非西洋の表象産出がいかにして西洋による非西洋世界の支配を動機づけまた可能にし、人類学がその表象産出の過程の一部を担っていたという点を吟味することは、今日における人類学の意味を再創造する上でも重要だろう。人類学を政治の磁場の中にとらえられた西洋による文化的他者表象ゲームの一端と認めることで、ある種の諦念が浮かんでしまうのも無理はない。

 しかし、人類学はそもそも本当に他者表象産出をその活動の中心としてとらえていたのだろうか。〇〇族とかいう集合的他者を語る学問であるという自己規定にこそ何か問題があったのではないだろうか。何かそこに大きな誤解が生じているのではないだろうか。