野生のパンジー

文化人類学の話

文化と呼ばれるさまざまなことがら③

・「社会的なるもの」

 人類学は本当に他者表象の学問だったのだろうか。そうでないとすればどのような学問だったのだろうか。人類学の歴史を見るに、必ずしもそうではなかった。むしろ、個人や民族と呼ばれる集合態に還元しえないような「社会的なるもの」の領域を記述していたのである。個人であれ集団であれ、その人々について語るのではなく、その人々が行っている実践とそれがおりなす体系性を語るのである。例を借りれば、将棋をプレーする人々についてではなく、その人々が実践する将棋というゲームそのもの、盤面のコマ一つ一つとそれが織りなす譜面に焦点を当てるということである。事実、人類学者がこれまでフィールドで対面していたのは、人間が演じるこのようなゲーム、「社会的なるもの」の様々に異なった具体的な姿そのものだったのである。それが絶えず個人ー集団という軸の中に回収されていき、結局はそれが個人を超えた集合態の属性でもあるかのように想像されてしまっていただけなのである。

 そもそも、人類学者が具体的な事象から出発して「民族」ないしは「社会」について語るということはどういうことなのだろうか。個々の〇人についての事実を一般化してカテゴリーとしての〇〇人を見出すことだろうか、それとも〇〇人と呼ばれる人に共通の要素を見出して語ることなのだろうか。または〇〇人がもつ要素の総和なのだろうか。このとき私たちは、〇〇人は個に対しての類、ないしは自然種として語っている。しかし、人類学の語り口は常にこの形をとっているわけではなかった。むしろそれらの語りとは根本的に異なっていたとも言える。もちろん、人類学者の中にこのような語りをするものがいないわけではなかった。むしろ、一連の裁判の記録や対抗妖術の語りを対象としていた人類学者は、もっと別のものを想定していたはずだ。

 彼が見ようとしていたのは、数ある行動・実践を透かして見えてくるパターン、それにそって出来事を組み替える作業によって見えてくる、知識や行為の断片よりは上位の階層にある、何か体系性のようなものであった。ここでの個と上位の体系性の階層関係は、個と類の関係とも個と自然種の関係とも異なっている。つまり体系性とは、個ー集合態という軸には決して還元しえない「社会的なるもの」なのである。

 例えば社会における事実である「職業」と「分業」の関係を考えてみよう。「職業」は個人の事実として確認できるものであるが、「分業」を個人の事実として語ることはできないだろう。もちろん、両者が無関係であると言うこともできない。では、どのような関係なのかと言えば、それは個々の職業という事実の総和でもなく、あるいはそこに公約数を見つけることでもなく、むしろそれらが上位の階層のシステムの要素としてとらえられたときに初めて可視化する事実なのである。

 この種の体系性が記述の対象となっているとき、もはやそこに「〇〇人の」「〇〇族の」というカテゴリーを登場させる必要などどこにもない。人類学者がフィールドで個人とのやり取りの中でその都度遭遇する数々の実践や知識の断片は、そのごちゃまぜの集合体の中からパターンに沿って体系性を透かして見るという作業を経ることによって、もはやその体系性を備えている具体的個人など想定しえないからである。それは分業を個人で行っている人がいないように(試しにある人に「分業をしてみてください」と聞いてみればその珍奇な響きに気付くだろう)、そして集団とは結局のところ個人の総和でしかないように、民族という個人ー集合態の軸には還元しえない知を発掘する作業に他ならないからである。